10) 命の儚さについて

ある晴れた日のこと、いつも通り神社に参拝に詣でました。神門の大天狗様・小天狗様への挨拶・現状のご報告を行い、大石社、三倍神社と歩を進め本殿に到着した時、太鼓が打ち鳴らされ、祝詞が始まりました。若いご夫婦と親御さんが本殿内にてお祓いを・・・と、私の目に入ってきたのは親御さん(旦那さんのお母さん)に抱かれた生後間もないお子さんでした。初宮詣です。私は本殿前からお賽銭を入れていつも通りの挨拶・感謝・そして現状報告をすませました。が、本殿内ではまだ祝詞が続いていましたので、私もお子さんの無事な成長を祈りました。私のお祈りが終わり、本殿横の自動車のお祓い所の石畳の方へ移動しました。いつもの石畳の角で、再度、太陽の方角に向き直り、神々様や精霊の皆様に感謝をと思ったところ、石畳の角に何かあります。小さな何か。魂の抜け殻、小鳥の雛の躯です。羽も生えておらず、目も開いていないようでした。直前には、お子さんの初宮詣、直後には、小鳥の雛の躯。何ともやりきれない気持ちで一杯になっていました。「折角、この世に生まれ自身の幸せな生涯をと思っていたであろうに、何故このようなことに。」と、思いました。人であれ、何者であれ、一寸先は闇なのだ、命とは無情で儚いものなのだ。と、思い知った時でした。その後は、その躯を丁重に埋葬してあげました。参道を下って大石社に寄りました。今まであった出来事をお話しし、「命とは儚いですね」と話した時、大石社を取り囲む私の周りで風が起こりました。

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