18) 以前、お世話になった神社(お礼に行かなくては)
<< 草戸稲荷神社 >>
御祭神 「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」【御神徳】五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、開運招福、芸能上達
「保食神(うけもちのかみ)」【御神徳】五穀豊穣、開運招福、出世、厄除、必勝祈願
「大己貴神(おおなむちのかみ) 【別称】大国主命(おおくにぬしのみこと)」
【御神徳】縁結、子授、夫婦和合、病気平癒、産業開発、交通・航海安全
*摂社・末社 ・三喜稲荷(病気平癒)
・五社稲荷(開運招福)
・十社稲荷
・三蔵稲荷(交通安全、旅行安全)
・松尾稲荷(足腰、下半身平癒)
・智者稲荷(入学、就職成就)
・加賀羅稲荷(商売繁盛)
・眼力社(眼病平癒)
・金毘羅社
・笠守稲荷(安産・子授)
・葛木稲荷(海上安全・大漁成就)
朱塗りのアーチ橋を渡った先が、草戸稲荷神社です。
アーチ橋を渡り、石段上から鳥居を撮影しています。
一の鳥居(石の鳥居)を抜けて撮影しています。
二の鳥居です。
二の鳥居を抜け、三の鳥居と本殿を撮影しています。
草戸稲荷神社 本殿です。
本殿前に花表がありました。
草戸稲荷神社 本殿 大注連縄です。
草戸稲荷神社 奥宮(最上階)です。
奥宮から見た風景です。
五社稲荷神社です。
御神得 開運笑福 です。
<< 草戸八幡神社 >>
御祭神 「誉田別命(ほんだわけのみこと) 【別称】応神天皇(おうじんてんのう)
御由緒 鎮座年代は不詳ですが、福山市瀬戸町長和に鎮座する福井八幡神社より御分霊をいただき、祀ったとされております。
(福井八幡神社は承和元年(834)に宇佐八幡宮より御分霊をいただいたとされております。)
御神徳 必勝祈願、出世開運
草戸八幡神社へは、この御神木を左手に見ながら一の鳥居へ向かいます。
一の鳥居(手前)と、二の鳥居です。
二の鳥居の奥に、草戸八幡神社が見えます。
草戸八幡神社と、奥宮です。
草戸稲荷神社と、草戸八幡神社は、私が30歳になる前の2年くらい前よりお参りを始めた神社になります。国道2号線から御社が見えます。当時は、県外出張 が多く、また、独身でした。出張からの帰り道に御社をよく見ていました。そんなある年の大晦日の夜に近くを車で走っていた時、賑やかそうな露店の灯りが見えてきました。当時はこの神社へ行くには、川向うの河川敷に車を止め、沈下橋(?)らしき橋を渡り、土手を上がって御社へ続く参道を進みました。沈下橋袂より露店が、そして土手を上がって参道方向へ露店が多数出店されており、電灯でとても明るく、賑やかな雰囲気の大晦日でした。お参りを始めて数年後、私が中古の民家を買うこととなりました。当時母が、「草戸稲荷神社のお陰」と言ってました。当時私自身は、家族の為と思って民家の購入を決断してました。この頃は神様の存在は全く信じていませんでした。ただ、お参りの際「何とか家族を助けられないものか」等と、思いながらお参りいしていたのかもしれません。それを神様が見聞きされ、縁を取り持ってくださったのかもしれません。そのようなこともあり、また、未だに正式に感謝もしていない状態となっていることもあり、必ずや、お礼に伺おうと思っています。
【2021/3/23 草戸稲荷神社と右隣の草戸八幡神社へお礼に伺いました。 新たな出会いもあり、良い一日でした。”神様、ありがとうございました。” 】
<< 明王院 >>
以前、お正月に家族で来たことがあります。夕方から夜にかけて、露店を散策しながら石段を上がってここへ来ました。懐かしいです。木造十一面観世音菩薩様(御本尊)が本堂にいらっしゃいます。
十一面観世音菩薩様 御真言 オンマカ キャロニキャ ソワカ 「唵(おん)摩訶(まか)迦嚕尼迦(きゃろにきゃ)娑縛訶(そはか)」
御真言の意味 「おお、あらゆる苦を抜く願いを成す者よ」
十一面観世音菩薩様には、もう一つ御真言がございます。
二つ目の御真言 オンロケイ ジンバラ キリク 「唵(おん)嚕鶏(ろけい)入縛羅(じばら)紇哩(きり)」に、なります。
御真言の意味 「おお、世の中を照らす者よ」
以上、二つが十一面観音様の御真言です。二つ目の御真言の最後に「ソワカ」を付ける場合もあるようです。
明王院 真景
明王院の全体図です。
明王院 入口 右側
明王院 入口 左側
明王院 本堂
本堂 入口
五重塔 【国宝】
鐘楼
御神木
弘法大師 左側 石塔
本日は、明王院の全体図を見て、びっくりです。かなり広く、草戸愛宕神社がございます。今後、じっくり時間をかけて散策したいです。
【2021/3/23 明王院へお礼に伺いました。新たな大発見もあり、良い一日でした。”神様、十一面観音様、ありがとうございました。” 】
<< 広島東照宮 >>
御祭神 徳川家康公
御神徳 東照公の御神徳は、一言で言えば下の御遺訓に示されます。
御由緒 広島東照宮は徳川家康公を御祭神にお祀りした神社です。家康公薨去(こうきょ)後33年忌に当る慶安元年(1648年)、当時の広 島藩主浅野光晟(みつあきら)公(浅野家第四代)によって、広島城の鬼門(北東)の方向に当たる二葉山の山麓に造営されました。光晟公の生母は、家康公の第三女、振姫(ふりひめ)であったことから、祖父家康公の御遺徳を敬慕すると共に、城下町の平和を願って神霊を祀りました。歴代藩主、社領三百石を付し、広島周辺の崇敬を集め、春秋の祭礼の外、家康公薨去後50年に当る寛文6年(1666年)以後は、五十年毎に盛大な祭典が行われました。 社殿は、「二葉山山麓に位置し、観望の美麗なるは、毛利氏広島に築城以来、第一のもの」と云われていましたが、昭和20年8月6日の原子爆弾(爆心地から約2,200m)の熱風により、桧皮葺本殿、中門、瑞垣、拝殿は焼失。 現在の社殿は、昭和40年4月、家康公薨去後350年祭を記念して再建されました。
こちらの神社は、長女が生まれた時、初宮参りに詣でた神社となります。長女と私と妻、私の兄弟、父母の7人で行きました。その後、転居も有り、思うようにお参りもできず、感謝もままならない状態となっています。長女のその後の成長すら伝えることもできていません。こちらの神社へも、必ずや、お礼に、そして現在の長女の成長についてもお知らせしようと思っています。
【2021/3/23 広島東照宮へお礼に伺いました。新たな出会いもあったり、 とても良い一日となりました。”神様、ありがとうございました。” 】
広島東照宮入口の大鳥居
【 広島東照宮 】
東照宮ならではの色彩ですね。
紙垂も沢山、揺れていました。嬉しいですね。
広島東照宮の裏手にある、金光稲荷神社へ続く鳥居です。
広島東照宮へ続く石段の右手にあり、鳥居を潜ると右手の車道へ出て、坂道を上ります。坂道を上りながら、左に曲がると、金光稲荷神社の二の鳥居があり、階段を上ると本殿があります。
鳥居上部が壊れています。早く治りますように。
唐門 両サイドに東照宮ならではの彫刻(鳥獣花木)があります。保護のため透明な板で覆われています。石段を上がり切ると、正面に本殿があります。
唐門 左側 彫刻
唐門 右側 彫刻
広島東照宮 本殿(正面)
広島東照宮 本殿 拡大
本殿手前、左側の、ふくろう
ふくろうの右横の掲示板
本殿手前、右側の、社殿配置略図
本殿右側の、大釜
水無月や大晦日に、御雑煮・七草粥等を作って、参拝に訪れた方々に
振舞われます。
広島東照宮 本殿 裏側
御産稲荷神社です。
亥の子石
鉄製の輪に付いているリングに荒縄を繋げて、子供たちが歌を歌いながら、各家庭の玄関先で石を空中に投げ上げて、地面に落とします。私も幼い時、祖父と各家庭の玄関先を回って、歌を歌いながらやってました。
「い~の~こ、い~の~こ。い~のこも~ち~つ~い~て、はんじょうせ~い、はんじょうせ~い。」
懐かしいですな。
福禄寿 七福神の御一人です。
福禄寿様から授かることのできる御神得が記された掲示板
御神井 御神水の湧き出る井戸になります。
「御神井」と書いて「ごしんせい」と読みます。
御神水 詳しく記述してあります。
祖霊社
本殿裏手にあります。
祖霊社
UP画像です。
祖霊社 御祭神 天之御中主大神
「天之御中主大神」と書いて、「あめのみなかぬしのおおかみ」と、お読みします。
金光稲荷神社 参道
こちらからも、金光稲荷神社へ参拝できます。
車道を一本横切って上に上がります。
金光稲荷神社 本殿 ~ 奥宮 までの、
各稲荷社のお名前です。
その他にも小さな御社が点在しています。
広島東照宮 境内 案内図
<<金光稲荷神社>>
金光稲荷神社 参詣コース案内図
金光稲荷神社 参道
写真の階段最上部の奥が本殿です。
本殿の右奥に、奥宮へ続く参道があります。
小さな子も、リュックサックを背負って親御さんと登られてます。
自然豊かですよ~!!